もうこれで十分だ。
自分には、学ぶことはもうない、と思うのは、大いなる勘違いです。
どんな人生の道のりでも極める事は難しいものです。
「もう学ぶことはもうない」と思った時点で、その人の成長は止まってしまいます。
私の研修には、終わりはありません。
これで極めたと思うのは、うぬぼれであって正しい成長ではありません。
ユダヤ人のおしえに、「教育は人生最大の配当をもたらす」とあります。
つまり生涯現役で学び続けるのです。
時代にあった学びと、未来を作る学びなのです。
それを一言でいうと「人類繁栄」です。
まだまだやることがある。
使命があるのです。
すなわち、一瞬の間に人生を見よ、一瞬一瞬を一杯大切に生きる。
普段から「今が楽しければいい」という考え方で生きていると、この瞬間を快楽に過ごせば、次に来るのは苦なのです。
人生は苦楽の繰り返しなのです。
だからこそ、唯今の時間を悔いのないように生かしていくことが大切なのです。
心を磨きましょう。
人間には必要な美しい心が本来的に備わっています。
それは
『悲しみを理解する心』
『喜びを分け合う心』
『こだわりを捨てる心』
です。
この四つの美しい心が無量にあることを、「四無量心」といいます。
また日本人だけが、四無量心を持っているのです。
一つの例で、自然は生きるための人間と同じ価値のある恵みのものとして扱われます。
欧米では、自然は人間以下で人間が管理できるものとして考えられる点がそれにあたります。
そして人生には、これ以上打つ手はなくなった時、予測しないことが起こった時など、人は「観念しました」といって頭を下げます。
しかし、本来の観念は追いつめられてするものではありません。
普段から観念すれば苦しいことにも耐えられる力を得られることでしょう。
そしてライフデザインを、考え計画を立てて生きて行くうえで、信念が必要です。
しかし、人生には無念の時もあります。
無念と言えば、心残りなことを意味しています。
念が無いと書くのに、念を残していることを表す不思議な言葉です。
念が無い無念無想を表した言葉です。
すなわち「空」です。
念とは、その時の思いのことです。
「今の心」と書いて「念」なのです。
失敗があったり不幸なことがあっても念を残さず過去の念は無にしましょう。
そして観点のレベルをあげ、人は言葉の管理と意識の管理が必要です。
さらに人生には常に意思決定の瞬間があります。
その時に能力の高い人(仲間)との人間関係が必要なのです。
他力本願を使える人が人生を豊かにするのです。
自分という我は一切ないのが、真の「他力本願」なのです。
そうです。
信頼と信用と問題解決能力があり、成果を出せる、結果を作れる仲間や部下や家族がいて、仕事や頼みごとを任せられる人に他力本願を使えると良いのです。
ただ、自分がやるべきことを他人に任せてしまうので、結果がどうであれ文句を言ってはいけないのです。
そして、自己成長し人生を物心共に豊かにするために、川畑式研修で学びましょう。
「愛」「感謝」「奉仕」「尊敬」「尊重」「信用」「信頼」「勇気」「行動」「実践」「実行」「責任」「快適」「時間」「有言」「無限」「親孝行」「感動」「感情」「真心」「誠実」「決断」「素直」「約束」「信じる」「人」「共力」「大切」「信念」「絆」「助け合い」「笑顔」「ありがとう」「健康」「財産」「教育」「育成」「成長」「限界突破」「成果」「志」「思い」「知恵」「知識」「工夫」「思考」「天才」「気づかい」「気合い」「愛出愛」「愛嬌」「真実」「家族」
これをすべて習得し実践し、人を幸せにして、人の喜びが我が喜びになり、大きな成長と器と資産を築き、自分の才能を伸ばし理想の人物像になり精進していきましょう。
最後まで読んで頂き、心から尊重し尊敬し本当に感謝しています。